2012年07月10日

時々読みたくなる文豪の小説

いわゆる文豪と呼ばれるような作家の小説は敷居が高いイメージですが、読む前の気の持ちようが大きいように思います。たしかに文語調だったり、クセのある文体の名作もあり、挫折してしまうものも結構ありますが、読んでよかった、いい話だったと得した気持ちになる名作が、やはりたくさんあります。一般的評価とは違いますが、私の好きな作品を二つ紹介したいと思います。

「若き日の思い出」武者小路実篤
今の恋愛小説とはまったく違う、読んだ人が健全になる、というか理想郷の世界の恋愛を描いた小説です。あまりにも理想主義で現実味のない、”悪”の出てこない作品が多い作家なので、武者小路実篤の評価は割れますが、私はこういった健全すぎるほどのハッピーエンドな作品を時(乱歩や久作を読んだ後など)にとても渇望してしまいます。

主人公は、母子家庭に育った内向的青年野島。彼の才能を認めている裕福で快活な友人宮津の家を訪れるようになり、妹の正子に恋をするようになります。自分の経済的状況や容貌等に思い悩んだり、裕福な友人に嫉妬したり、逆に都合良く空想したり、主人公野島は煩悶しますが、正子も彼を想っていました…。古き良き礼儀ある時代を舞台にした、出てくる人間が全て純粋で悪人の全く出てこない理想世界のハッピーエンド恋愛小説です。


「重右衛門の最後」田山花袋
新潮版では、文学史に出てくる自然主義の名作「蒲団」と併録しています。「蒲団」も、去っていった女弟子の蒲団の匂いをかぐ中年作家の心理描写など楽しめる作品ですが、”美”と”醜”の対比が心に残る「重右衛門の最後」を紹介します。

旧友の住む北信州を訪ねた主人公は、山並みや集落の美しさに感嘆します。しかしここでは放火騒ぎで村中が揺れていました。犯人は重右衛門という身体に障害をもった凶暴な男と小動物のような娘であることはわかっていたのですが、証拠がつかめない村人は、思いあまってついに彼を殺害する計画を立てます…。美しい村の風景描写と村落の閉鎖性の対比が印象に残る作品です。


こういった白樺派や自然派と呼ばれる傾向を持つ小説は、時流などで評価が大きく変わり、今はあまり評価が高くないかもしれませんが、私にとってはどちらも異世界へといざなう魅力的な名作です。


蒲団・重右衛門の最後


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2012年06月03日

岬にての物語

時々無性に読みたくなる三島由紀夫の短編集を紹介します。三島の作品は、その世界観が魅力的で(思想や嗜好には共感が持てませんが…)、濃厚な物語を楽しむ事ができ、読み返しても作品の魅力が失われない数少ない作家の一人です。

絢爛な文体で純文学感が強いように思われがちですが、大衆文学を見下して、すぐ消えてしまう芸術気取りのよく分からない小説を書く純文学作家とは違い、乱歩の「黒蜥蜴」を戯曲化したことでも分かるように、楽しませる”物語”を書く作家でした。ここで紹介する「岬にての物語」も、そんな物語が集まった短編集となっています。

表題作の「岬にての物語」は、夢想好きの少年がオルガンの音に導かれ、迷い込んだ岬の古い小さな洋館で、若い男女二人に出会います。3人でかくれんぼをしていたとき、そのまま二人は姿を消してしまいます…。幼い記憶に残る避暑地での心中事件を描いた美しく悲しい物語です。また、「月澹荘綺譚」も耽美怪奇小説といった趣で楽しめます。屈折した侯爵家の嫡男照茂は、何でも他人に命じてやらせ、自分は静かにそれを見て楽しむ、という屈折した、いかにも華族にいそうな男です。結婚する前年の夏、グミを摘む白痴の村娘君江と出会い、翌年両眼にグミを詰め込まれた状態で死体となって発見されます…。

どちらも悲しく暗い話なのですが、風景描写や表現に透明感があり、戦前のノスタルジックで美しい華麗な作品という読後感が残ります。




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2012年05月08日

「小磐梯」という短編

井上靖の「補陀落渡海記」という短編集を読みました。表題にもなっている、観音浄土をめざすという慣わしで生きながら海に流される住職の話「補陀落渡海記」目当てでしたが、「小磐梯」という明治21年7月の磐梯山の大噴火を題材にした短編が心に残りました。

耕作面積を調べるため裏磐梯に出張した地方官吏は、供の二人を連れてののんびりとした始まりでしたが、六部(巡礼)姿の狂女との出会い、頻発する地震、温泉の減少、異常な数の蛇など、少しずつ不安な旅に変わっていきます。心中旅らしい二人や蒲鉾商人と出会い、大沢という部落に泊まった翌朝、ついに磐梯山は大噴火を起こします…。

狂女の「帰らんせ、帰らんしゃれ、ここから先きは行かん方が身のためじゃ。」、子供たちの「ブン抜ゲンダラ、ブン抜ゲロ」という呪文のような絶叫など、土着的な怪異譚のような味もあります。

立松和平の「浅間」もそうですが、間違いなくあった悲劇の、資料では得られない人の動きや気持ち、暮らしなどが味わえる所がこういった小説の魅力です。桧原湖や五色沼など、今は観光地として有名になっていますが、その下に人の生きた村があることを忘れてはいけないでしょう。



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2012年04月21日

戻り川心中

男女の情愛や機微を得意とする作家連城三紀彦ですが、元々は探偵小説誌「幻影城」でデビューしたミステリー作家であり、私の好きな”どんでん返し”を得意とする作家でもあります。大正時代を舞台にした名作をいくつも発表していることでも有名ですが、今回はその中でも代表作と言える、「戻り川心中」を紹介します。

歌人苑田岳葉は、桂木文緒と心中し失敗します。その心情を詠んだ「桂川情歌」を発表し評価されますが、その翌年再びカフェの女給依田朱子と心中事件を起こします。今度も岳葉は生き残りますが、なぜか三日後に自害します。岳葉がその三日間で詠んだ短歌は、死後「菖蒲歌集」発表され、またも話題になります…。岳葉が死んだ理由とはなんだったのか、秘められた謎を調べるうちに、その意外な真実が明らかにされます。

他にも、「桔梗の宿」や「夕萩心中」などいわゆる花葬シリーズと呼ばれる大正・昭和前期を舞台にした短編はどれも魅力的で、まるでその時代に発表された小説のような空気感も感じられます。




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2012年04月04日

更年期少女

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真梨幸子さんの小説の多くに言えるのですが、とても面白く、不快です。美味しいけれど油が多く胃もたれしてしまう、そんな小説です。

伝説の少女漫画「青い瞳のジャンヌ」を愛する、伝統ある「青い六人会」。互いをエミリーやジゼル、マルグリットなどの名前で呼び合う中年女性たちが主人公です。会合では、漫画の登場人物の貴婦人のように振る舞いますが、誰もが皆、虚像で飾り立てています。現実に戻れば、DVに悩んだり、介護の必要な母親と二人暮らしだったり、あまりうまくいかない実生活を送っています。そしてそんな「青い六人会」のメンバーが次々と失踪、殺人事件に巻き込まれていきます…。

あまりにも不快な実生活、オタク全開な会合。そして今の世の中、いかにもそんな人がいそうな怖さ。言葉にすると面白いところなどどこにもなさそうですが、どんどんページをめくってしまいます。

残念なのは、「更年期少女」という秀逸なタイトルとすごい装丁が、知らない間に「みんな邪魔」というタイトル改題と、ありがちな感じの装丁に変わってしまったことです。クセが強すぎたのでしょうか?でもちょっともったいない改変です。




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2012年03月16日

山伏と村人の交流を描く「春秋山伏記」

藤沢周平といえば、市井の人々や下級武士の悲哀、恋愛を描いた時代小説の名手ですが、今回紹介する「春秋山伏記」は、そんな藤沢作品とはひと味違う、時代小説が苦手な人にもお薦めな、ちょっと昔話的でユーモラスな連作短編集(文庫紹介では長編となっていますが連作短編でしょう)です。

山形-荘内の村を舞台に、羽黒山から別当に任ぜられた山伏=大鷲坊が、村で起こる難問、事件を解決していきます。幼なじみの「おとし」との劇的な再会と恋の行方をバックグラウンドに、旧別当との対決「験試し」、怪力男の妻との騒動を狐の足跡で収める「狐の足あと」、十九年前の焼死事件の真相を探る探偵譚「火の家」、狐憑きの娘と力はあるのに気弱な男との恋の成就「安蔵の嫁」、人さらいの山の民=山窩との交流「人攫い」の五編が納められています。庄内弁にこだわった村人たちのセリフも味があって楽しく、日本人の郷愁を誘う名品となっています。




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2012年01月30日

超絶な江戸の街並み復元図

幕末、江戸の街を見た外国人は、美しい街並みを絶賛しました。ヨーロッパの街にひけを取らない統一感ある街造り、点在する武家屋敷の広大な庭園の緑、そして水の都と呼ぶにふさわしい張り巡らされた水路は、古地図や古写真にもおぼろげながら伝わってきます。

ここで紹介する、立川博章氏による、内外地図株式会社発行の「江戸の街並み景観復元図」は、そんな世界的に美しかった江戸の街を、よりリアルに直接的に描画したすばらしい作品となっています。鳥瞰図というか、地図の実体化というか、とにかく丹念にとても繊細に描かれていて、そのこだわりにも脱帽です。

西洋文明とアジア気質が工学的に混在し、自分勝手な高さと形で増殖する、サイバー都市に変わってしまった東京の下には、こんなに美しかった江戸が眠っています。

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2012年01月18日

一〇〇年前の女の子

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正月、「一〇〇年前の女の子」という本を読みました。著者船曳由美さんの母テイさん(2009年時100歳)の子供時代の回想を中心に物語風にまとめたもので、当時の村の正月、節分などの風習や農村の様子を描写しながら、成長してゆく姿が描かれています。物語としても民俗学的資料としても、とてもいい本だと思います(装丁はちょっと…ですが)。

舞台が足利の高松という所で、私の田舎太田市新田とはそれほど離れていない場所です。関東平野の端であり、呑龍様や例幣使街道など、知っている場所が出てくるのでとても身近に感じられ、私の祖父母もこんな暮らしをしていたのかもしれない、とちょっと感慨深いものがありました。

ヤスおばあさんが元気でテイが子供だった頃、数百年続いたあらゆるしきたりや行事は今後もずっと続くと思われたでしょう。まさか50年も経たずに暮らしや風景が大きく変わり、早乙女姿も井戸替えも迎え火や石臼もなくなり、そして暮らし全般を貫く風習が消えるとは思いもしなかったでしょう。

この本を読んで、以前にテレビで過疎の農家のお年寄りが言っていた一言が、思い出されました。
「機械化して農作業はすごく楽になった。でも楽しくなくなった…。」
一家近所総出で歌いながらの田植えや、畦でのお茶菓子とおしゃべりの一休みなど、たいへんな中にも活気と暮らしの楽しさがあったということでしょうか。楽で便利になり、暮らす楽しさが消えた…。堕落した私にもちょっと分かる気がします。

最後に、この本の執筆時点では、100歳のテイさんだけでなく、義妹のミツさんも96歳で存命ということです。ぜひどこかのテレビ局でこの本の特集をやってお二人を拝見したいものです。



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2011年12月14日

紅い花

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「つげ義春」といえば、私が生まれた頃全盛を極めた「ガロ」の代表的作家(漫画家というよりあえて作家といいたいです)ですが、その世代の人に限らず、私のようにその後も新たな熱狂的ファンを生んでいくほど独自の世界観を持った希有な作家です。

日本的叙情性とシュールさを併せ持った名作がたくさんありますが、代表的なもので「ねじ式」「ゲンセンカン主人」「やなぎや主人」「無能の人」などでしょうか。どれもいかにもガロな作品で、何とも言えない魅惑的な世界に浸ることができます。

特に私が好きなのが、「紅い花」です。山奥の渓流沿いに釣りに来た主人公と、小さな売店で店番をしているキクチサヨコとシンデンのマサジとの交流を描いた、短編小説のような作品です。大人になろうとする少女キクチサヨコの描写が紅い花で表現され、「ねじ式」のシュールさとは違う、失われた日本の風景描写と詩的な叙情的世界がすばらしい作品です。

NHKアーカイブスで数年前に再放送された、ドラマ「紅い花」もつげ義春の世界観の再現とまではいきませんが、セットによる居心地のいい表現はなかなかいい世界でした。

「紅い花/やなぎ屋主人」


「ねじ式/夜が掴む」


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2011年10月28日

臨死体験

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ボッシュ「最高天への上昇」


ちょっと古い本ですが、なかなか興味深い本を紹介します。題名だけみると、オカルト系のちょっとやばい本と思うかもしれませんが、ジャーナリストでノンフィクション作家、評論家で有名な立花隆氏による客観的、科学的な視点から見た臨死体験の本です。

オカルト本ですと、死後の世界があり、臨死体験はその死後の世界を垣間見た、と最初から疑問なしに主観で決めてしまいますが、この本ではそういった事も完全否定はせず、客観的視点で丹念に取材しています。

国、宗教によって臨死体験内容が異なる点や、側頭葉のある部位の刺激で、浮遊したり神にあったりする人もいるようなので、脳が蓄積した知識、記憶からくる脳内現象によるもの、というのが本当のところなのかもしれませんが、それだと死は無になってしまい、空しい気分にもなります…。

幽体離脱(体外離脱体験)の方法なども載っていて、興味のある方は実践してみるのもいいかもしれません。


臨死体験〈上〉立花 隆


臨死体験〈下〉立花 隆


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